magazine40
36/58
る一般小型貨物自動車運送事業が免許されることになり、小規模事業者が急増した。■昭和30年代昭和30年代には経済成長が目覚しく、トラック業界も貨物量の増加により、事業規模も拡大された。路線事業では東海道(大阪~東京)山陽道山陰道等の主要路線の長距離運送が免許になり、また区域事業でも輸送需要の増加に対応し著しい飛躍をとげた。そしてトラックのもつ機動性、利便性により、従来鉄道により輸送されていた貨物がトラックに転移してくるようになり、同時に大型化、長距離運行の時代を迎えたのである。また、一方自家用トラックによる無免許営業類似行為、或いは営業車による各種違反行為により輸送秩序が乱れ、そのため主要道路上において街頭検間が実施された。■昭和40年代昭和40年代は輸出の伸長、設備投資を中心とする民間需要の増大などにより景気が上昇し、神武景気、岩戸景気をさらに上回る「いざなぎ景気」と謳われ、産業界は技術革新、合理化を促進し、 トラック業界は近代化促進法による業種指定を受け、荷役の機械化、車両の大型化、フレートライナー、カーフェリーの利用による輸送の合理化、近代化につとめ共同化、協業化を進めるため協同組合を組織し構造改善事業へと進んだ。48年末近くになって突如として石油危機が起り、 トラック業界は燃料不足に加えて軽油価格の高騰、荷動き激減となり業績低下し戦後最大の危機に見舞われ、これから低成長経済へと移行していく。■昭和50年代昭和51年に、産業経済、国民生活のうえで果しているトラック運送の重要な役割を社会的に認識されたことにより、運送事業振興助成交付金制度が設けられた。これにより、協会事業は飛躍的に発展し、輸送サービスの向上、事故防止、パトロール指導、巡回指導、災害時の緊急輸送体制の整備、福利厚生施設の充実など巾広い活動ができ、また56年5月には業界の殿堂ともいうべき研修センターが竣工し翌57年9月には西山―-34-―
元のページ