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その後、昭和5411には「第2次イi力||ショックJ(こより、1115()IIIの中子油が55イ11には100111を超え、量も不足したため、京卜協に燃料特別対策委員会を設置して、大阪通産局、大阪陸運局に陳情するとともに、京都石油商業組合とも量の確保と価格の沈静化について懇談し要請し、この年通達されたいわゆる「27通達Jの趣旨の徹底をはかった,昭不Π56年12サ|には17kI全経営のための認|」運賃適ll:収受などで「トラックJf業者総決起高いJを開いており、OO使でおり1染みの「′こ′iビイ更運1lJ も571111サl([「忍"∫さオ■、 58イ11には高速道路における交通J「故多発状,'こにかんがな、別判l織としての「京倒`府高速道路交通安全連絡協議会_を判[織し、参議院運輸委ウt会における道路運送秩|´のllfl立に1対する決議で「近畿地|え物流政策怒I淡会Jが開催され、京ト協も荷]三懇談会として「物流セミナー」を開催している.■昭和60年代60年7月には、臨時行政改革推進審議会からの規侑1緩利|に対する答中において、民1問活力It進のため、区城積合の1■口∫の弾力化、1手業IX域の経済圏への拡大、宅′iビ、りl ljk約款の制l定、ほかに中サUI的1片「1として、近川i離路線と|え域積合との1手業区分の見rrし、1‖建運賃の導人などがllkり込まれ、このうち嗜手業|だ域については、キi都1巻|、阪ネ|1圏にり|き続いて中音ド1巻|がり:大さオしたⅣイ本‖61ni 5サ|||‖|キ|:σ)ネ谷`やからイト ト!lσ)ネ念`やとなり、この年の末に突如|として浮11してきた「売L税」については、反対の意志統一をはかり対処した結果、日召和62年には事実Lの廃案となったほか、構造改善事業もこの年から新たに「経営EIk略型」となり、長年の願望であった「厚生年金基金Jも設立発足した.そして、 日召和62年11月18日には、 京都パークホテルで盛大にF創立40周年記念式典Jを開催し、協会員がさらに結束し、 英知を結集して諸施策に積極的に対処していく決意を新たにした■昭和70年代(平成新時代)|lri和641i lサ17日に大行天|:与裕1 lμF卜がllli御されたことにより、 111811より`「成と改
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